孫堅 (そんけん)
呉国建国の祖となった孫策・孫権の父。度量が広く、彼のもとには彼を慕う者達が集まり、その数は数百人にも及んだ。
劉備 (りゅうび)
張飛と趙雲の活躍によって逃げ延びた劉備は、同盟を結んだ孫権と共に長江の赤壁にて曹操の大軍を下す。この勝利が後の天下三分の足がかりとなる。
曹操 (そうそう)
赤壁での開戦当初、曹操軍と同盟軍の勢力には圧倒的な差があったが、周瑜に弱点を看破され黄蓋の偽りの投降により大敗することとなる。だが、曹操の優勢な基板は変わらず、天下統一の夢のために休む間もなく戦いに明け暮れた。
孫堅 (そんけん)
別世界からやってきた快活な美少女。兵家・孫武の末裔であり、17歳にして数十人の海賊を倒すほどの腕の持ち主である。その度量の広さから、多くの民衆や役人からの信頼を集めていく。
劉備 (りゅうび)
別世界からやってきた美しき人徳者。中山靖王の末裔である彼女は、乱れた世を正し、民を救うことが自らの天命と悟る。長き雌伏の時を経て、民心を掌握した劉備は、今立ち上がる。
曹操 (そうそう)
魏建国の土台を作り上げた三国志最大の野心家で、魏の武帝と称される。その卓越した聡明さを武器に、官渡の戦いで袁紹、袁氏を破る偉大な戦績を残した。天下を取ることに貪欲で、そのためならばどんな非道も厭わない。
呂布 (りょふ)
名馬・赤兎馬と共に戦場を駆け巡る三国志の猛将。丁原を裏切り、董卓を裏切り、欲望のまま方天画戟を振るう姿は悪鬼と呼ばれた。
陸遜 (りくそん)
関羽討伐の立役者である軍政両務における孫呉の重臣。劉備の度重なる挑発にも乗らず始終慎重な姿勢で戦いに臨んだ。蜀軍の疲弊を見破った陸遜は反撃に転じ、火攻めなどで蜀軍を壊滅させ、劉備を敗走させた。
董卓 (とうたく)
悪逆無道の独裁者。豪傑・呂布を家臣として迎え入れ、自らの絶対的地位を確立した。太尉として政治の実権を握ると、その暴虐・残忍さを極めた政治で世間を震撼させる。董卓の時代、無実の罪で斬られた者は数千人にも上るといわれている。
夏侯淵 (かこうえん)
曹操の親族で、夏侯惇と共に曹操軍の両翼の一方として重用された。後方支援を得意とし、迅速な行軍でいつも敵の不意をついたため「三日で五百里、六日で千里」と称えられた。
朱然 (しゅぜん)
孫権が呉の国主になったときに配下となった武将の一人。夷陵の戦いで陸遜らと共に宜都の防衛に当たる。朱然の部隊は攻め入ってきた劉備軍の先鋒を破って退路を断ち、劉備を敗走させた。
張飛 (ちょうひ)
長坂の橋の上で大軍である曹操軍にひるむことない張飛の一括に肝を潰して落馬する者が現れ、曹操軍は戦意を大きく失い撤退した。そのため劉備軍は辛くも逃げ延びる事ができた。
孫権 (そんけん)
曹操の荊州侵略を受け、彼に対抗すべく劉備と同盟を結ぶ。軍勢には圧倒的な数の差があったが、部下の黄蓋、ホウ統等の献身により火計を成功させ、その大軍を打ち破り撤退させることに成功する。
諸葛亮 (しょかつりょう)
同盟軍は呉の黄蓋、ホウ統の献策を受け「連環の計」による火計を行おうとするが、良い風が吹かない。諸葛亮は南屏山に七星壇を築いて奇門遁甲術により風を吹かせ、火計を成功させて同盟軍を勝利へ導いた。
曹丕 (そうひ)
曹操を父に持つ、魏の初代皇帝。急病による死で、在位期間は僅か7年であったが、魏に政治的な改革をもたらす偉業を成し遂げ、国を安定させた。また、呉への遠征も積極的に行った。
貂蝉 (ちょうせん)
楊貴妃と並び「中国四大美女」の1人と言われるほどの絶世の美女。董卓の暴政に憂う王允の為、自らの身を顧みずその美貌を使い、董卓と呂布へ「連環の計」を仕掛け成功させた。向かう所敵なしと言われた董卓軍が1人の女に惑わされ脆くも崩れ去るのだった。
卞皇后 (べんこうごう)
歌妓出身の曹操の妻。倹約家で華美を好まず、慎み深い美姫。曹丕や曹植など男子を多くもうけ、良妻として曹操を支え続けた。
楽進 (がくしん)
曹操に仕えた名将。合肥の戦いでは孫権軍十万に対し七千の軍で迎え撃たねばならず、李典の説得により不仲であった張遼とも団結し、これを破った。戦場での活躍が評価され、最終的に右将軍までに登った。
@sangokusmashさんのポスト